わたしが宇宙人母KAYOになるまで

プロフィール
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こんにちは。宇宙人母KAYOです。

わたしは今でこそ、「宇宙人母」なんて肩書で、いろんなイベントや講座をプロデュースして楽しく活動していますが、結婚した頃はひきこもり気味の主婦でした。

そんなわたしが、どうやって今の「宇宙人母KAYO」になったか、少し長くなりますがお話させてください。

お気に入りの飲み物でも飲みながら、ゆっくり読んでくださればうれしいです。

 

 

引きこもり主婦だったころ

結婚した当初は、自宅で技術系の翻訳の仕事をしていたので、朝から晩までパソコンとにらめっこ。

子どもがなかなか授からず、不妊治療を受けていました。

 

夫の会社の社宅に住んでいましたが、子どもがいないわたしは、ほかのママさんたちとどうやって付き合ってよいのかわかりませんでした。

 

小さな子どもたちがにぎやかに遊んでいた社宅の公園は、いつも避けていました。

社宅の部屋が近い奥様たちとも、出会ったらあいさつをするくらいのつきあい。

 

「わたしは、なんのために生きているんだろう」

と、社宅のベランダから地面をみおろして、しょっちゅうため息をついていました。

 

その後、漢方治療と出会って、体質改善につとめたおかげか、ありがたいことに結婚2年めに長男が授かりました。

そして、それをきっかけに、他のママさんたちともふつうに会話ができるようになりました。

 

その頃は、昼間は長男といっしょに社宅の公園で遊んで、午後は長男のお昼寝中に翻訳の仕事を片付ける、という毎日でした。

 

他のママさんたちとの会話は、子どもの病気、子どもの習い事、子ども服の話など、とにかく子どものことばかり。

ニコニコあいづちを打って聞いてはいましたが、心の奥では
「どうしてみんな、自分自身のことを語らないのだろう?」
と、物足りなさを感じていました。

でも、長男はとてもかわいくて、赤ちゃんとのくらしはそれはそれは楽しかった。

長男は、おとなしくて、とても育てやすい子でした。

 

いっしょにいるのが楽しくて、

「育児なんて楽勝〜♪」

と、わたしは思い上がっていました。

 

そして長男が3才のときに、長女が生まれました。

 

長女は、生まれたその日から
「何かこの子、長男とちがう」
と感じたのです。

 

この子、どこかヘン?

長男は、赤ちゃんのころ、おっぱいをごくごく飲んで、すやすや眠っていました。

そんな長男とは対照的に、長女は、おっぱいを飲んでもすぐ吐いてしまい、抱いてあやそうとしても、そっくりかえって泣き叫び、産後直後のわたしはへとへとでした。

それでもだんだん長女に笑顔が出てくると、あまりにもかわいいので、1歳のときに、東京のとある赤ちゃんタレント事務所に登録したほどです。

 

今思うと、よくもまぁ、赤ちゃんをつれて、2時間近くかけて東京まで行ったなぁと、自分の親バカさと強引な行動力に感心(?)します。

 

 

しかしそのうち、娘の成長の遅さが気になるようになってきました。

1歳をすぎても歩かず、言葉も出てこずにウーウーうなるばかり。

 

そして、1歳7ヶ月になり、ようやく歩くようになりました。

でも、娘を公園につれていっても、他の子はおとなしく砂場で遊んでいるのに、うちの娘はすぐにピューッとどこかへ走っていってしまいます。

 

長男は、すべり台をすべるときは、3歩手前から後ろ向きになって
そろりそろりと後ろ向きですべるくらい用心深い子でした。

でも、長女は、ジャングルジムのてっぺんの高い場所でも、平気でずんずん歩きます。

 

当時は、

「この子、恐怖を感じないのでは?」

と、思っていたのですが、おそらく、空間を認識する力がとても高かったせいだと思います。

(今も、長女は地理を覚えるのが得意だし、県の形を見ただけで県名を当ててしまいます)

 

その後、あちこちの医療機関でいろんな検査を受け、どうやら娘は発達障害であることがわかりました。

でも、不思議とショックはありませんでした。

 

その理由は、生まれたその日から、「どうもこの子は普通ではない」と、感じていたこともあります。

そしてもうひとつの理由は、わたしが子どもだった頃、近所にダウン症の男の子が住んでいたこと。

 

わたしはその男の子といっしょに遊んだり、小学校の登校をお世話していて、なぜか

「わたしも将来、障害のある子を持つかもしれない」

と、考えたことがあったのです。

(いま思うと、神様が予行練習をさせていてくれたのかもしれません)

 

そして長男が7歳、長女が4歳になったときに、末っ子の次男が生まれました。

 

数年前は、

「自分はなんのために生きているのだろう・・・」

とため息をついていた自分。

その頃を思い出して、そんな自分が、まさか3人の子どもの母親になるとは、と非常に感慨深かったのを覚えています。

 

翻訳塾に通いはじめる

3人の子どもの育児はとても楽しかったけれど、なにか心が満たされないものを感じていました。

 

そんなある日、その頃わたしが愛読していたメルマガの一通が目に止まりました。

当時わたしが尊敬していた、ある女性翻訳者の方のメルマガです。

それは、「稼げる翻訳者を育てる」という私塾のお知らせでした。

その翻訳塾の期間は一年間で、ひと月に二回開かれるとのこと。

入塾料はかなり高額でしたが、それまでに翻訳でかせいだお金で支払える額でした。

わたしは「どうしてもこの塾に行きたい!」と思いました。

その理由は、障害を持つ娘の将来にそなえるため、収入をもっと上げたい、と思ったから、ということもありますが、今思えば、「◯◯ちゃんのママ」だけではない、「わたし」をとりもどしたかったのかもしれません。

 

当時、次男はまだ1才で、おっぱいもまだ卒業していませんでした。

夫に塾に入りたい希望を伝えると、最初はおどろかれたものの、
「そんなに行きたいなら、いいよ」
とOKしてくれて、さらに、塾の日には、義母が留守番に来てくれることになりました。

 

そしてわたしは、その翻訳の塾に通い始めたのです。

翻訳を教えない翻訳塾

 

さて、翻訳の塾に通いだしたわたし。

この塾のコンセプトは、なんと「翻訳を教えない翻訳塾」。

今までわたしが体験したことのない世界をいっぱい教えてもらいました。

 

 

なんたって、初日に先生に言われたのが

「まず最初に、みなさんの潜在能力をあげるために、『レイキ』を受けていただきます」

だったのですから!

(レイキというのはヒーリングの一種です)

 

この翻訳塾の先生が懇意にしているレイキの先生は、潜在意識について
ものすごく詳しい方でした。

当時のわたしはスピリチュアル系のことはほとんど知りませんでした。

 

だから、先生が話してくれた
「自分のまわりの状況は、すべて自分が作り出している」
というお話に、ものすごくびっくりしました。

 

そのほか、自分が出したエネルギーが返ってくるという法則や、自分がフォーカスしたものが拡大するという法則もこのレイキの講座で学びました。

これがわたしがスピリチュアルの世界に足をふみいれた最初でしたが、なぜか抵抗感なくすんなりと受け入れることができました。

 

そしてこの翻訳塾の一年間では、

「脳は基本的になまけもの。だから、どんどん新しいことをしましょう」

という先生の教えにしたがって、受講生のみんなで、ガラス吹きやパントマイムを体験したり、プレゼンの練習をしたりしました。

 

そして、パソコンとの共同作業による翻訳のやり方も学びました。

(このとき学んだワザは今も活用しています)

 

そして、この塾に通ううちに、

「そうだ、自分でもなにか新しいことを始めてみよう!ブログに挑戦してみよう!」

と思いついたのです。

 

役にたたないブログを書こう

しかし、思い立ったはいいものの、当時、この翻訳の先生が書いていたブログが、翻訳情報満載の「超」役立つブログ。

そのため、

「わたしには、こんなに役に立つブログは、とても書けない」

と、前に進めなくなってしまいました。

 

でも逆に、

「そうだ、わたしは、ぜんぜん役に立たないブログをめざそう」

とひらきなおったら、書き始めることができたのです。

 

そして始まったわたしの初めてのブログのタイトルは、「想い出いったりきたり」。

 

内容は、自分が小さかった頃の思い出を、時系列はまったく無視して、
思いつくまま書くというもの。

(だから「いったりきたり」です)

 

当時はFC2ブログで書いていました。

(現在は、その内容を、このブログの「想い出いったりきたり」のカテゴリーのところに引っ越してあります)

 

このブログが塾の仲間たちに

「おもしろい!」

とかなり好評で、人に文章を読んでもらううれしさを知りました。

 

さぁ、かせぐ翻訳者になるぞ!

そして、この翻訳塾を卒業し、

「さぁ、かせぐ翻訳者になるぞー!娘のためにお金貯めるぞー!!」

と、燃えていたわたし。

 

そのころ、投資でもお金をふやそうとしましたが、逆に大金を失ないました・・・(T_T)

 

このとき、不安からお金をためても、不安を増大させるだけだと学びました。

非常にイタイ学びでしたが・・・。

 

今から思えば、夫が正社員で安定した給料をもらっているのに、わたしは
どうしてあんなにガツガツがんばっていたのだろうと不思議です。

でも、あのころのわたしは、なぜか異常に

「わたしが娘のためにがんばらなくては」

という気持ちが強かったのです。

 

当時のわたしは、人にたよるのがホントに苦手でした(今もけっこうそうですが^^;)。

 

そして、自宅での翻訳の仕事の「ガツガツ度」がピークだったころ、当時2歳だった次男が、ネフローゼ症候群という腎臓の病気にかかってしまいました。

 

すぐ治る病気かと思っていたら大まちがい。

一ヶ月半ほど入院することになりました。

 

全身がパンパンにむくんだ次男を見て、

「この子、わたしの身代わりになって病気になったのでは・・・」

と、わたしははげしく後悔しました。

 

翻訳の仕事はしばらくお休みすることにして、夫、義母、うちの母親の3人で交代しながら、病院に泊まりがけでつきそいました。

 

感染症を避けるため、他の子とは隔離されていて、食事制限もされていました。

そのため、病室では、絵本やおもちゃで遊ぶか、テレビくらいしか娯楽がありません。

 

このとき、

「お金がいくらあっても、病室では使いみちがないんだ」

と、健康がなにより大事だとつくづく感じました。

 

幸い次男は、治療が効いて元気になって退院し、わたしも翻訳の仕事を再開しようとしました。

でも、以前のようにガツガツ仕事をすることに、

「なんかちがうな」

違和感を持ったのです。

 

入院前は、次男は保育園に一日中あずけていました。

でも、入院中はいったん退園していたため、退院後は、その保育園に
空きはなくなっていました。

 

とても気に入っていた保育園だったので

「もうあそこに戻れないのか」

と、かなりショックでした。

でも、気持ちを切り替えて、しばらく翻訳の仕事をセーブして、次男とゆったりすごすことにしたのです。

 

雑穀料理を学ぶ

次男が難病になったことをきっかけにして、食事についてもちゃんと学びたくなりました。

 

そこで、マクロビオティックや、「つぶつぶ」とよばれる雑穀料理を習い始めました。

 

つぶつぶのことは、以前から本を読んで知っていたのですが、セミナーが高価なので受講をちゅうちょしていました。

でも、次男の担当医師から、

「こんなに低年齢でネフローゼ症候群にかかった子は、おそらく大きくなるまで再発をくりかえします」

と言われて、負けず嫌いなわたしは

「そんなのイヤだ!

次男をなんとか元気にしてやりたい!」

と、藁にもすがる思いで、つぶつぶセミナーの受講を決意したのです。

 

そして

「今度、雑穀料理ならうことにしたんだ」

と友人に話すと、彼女は

「わたしにも教えて」

と言うではありませんか。

 

「じゃあ、習ってきたら、うちで教室開くね」

と、わたしはセミナー受講前に、ちゃっかり最初の生徒を確保してしまったのでした。

 

これが、お金をもらって人に何かを教えた最初の経験になりました。

 

こうして、次男の退院後、わたしは自宅で小さな料理教室「ほかほかキッチン」をはじめました。

 

セミナーで学んだことをそのまま教えていた感じで、受け売りもいいところです。

でも、教えること(アウトプット)を前提で学ぶと、学ぶとき(インプット)にとても熱が入ることを実感しました。

 

雑穀料理教室はとても好評で、自宅だけでなく公民館で親子向けに毎月教室を開いていたこともありました。

 

イベントで雑穀のお菓子を売ったり、ランチを40食くらい作ったことも。

 

料理教室やイベントでの販売は、よく長男が手伝ってくれました。

 

ほんとによく気のつくアシスタントで、

「こんな息子がほしいわー」

と、参加者のみなさんに絶賛されていました。

 

また、イベントのときは、包装のしかたを考えたり、どんなものがよく売れるか研究したり、どんなふうにお店をディスプレイするか工夫したりと、お店やさんごっこのように長男と一緒に楽しんでいました。

 

今、長男は、学校の近くのアパートでひとりぐらしをしていますが、けっこう料理を楽しんでいるようです。

学校の文化祭でも模擬店でテキパキと働いていました。

 

子供の頃のイベント手伝いがけっこう役立ってるのでは、とひそかに思っています。

 

スピリチュアルの学びを再開、そして迷子へ

 

そして、料理教室では生徒さんから、心の悩みについて相談を受けることもよくありました。

 

その相談を聞くうち、わたしは心のことに興味がわいて、またスピリチュアルについて学び始めるようになりました。

しかし、ここからわたしは、スピリチュアル迷子になっていったのでした・・・。

 

そして、自宅や公民館での料理教室を1年半ほど続けた頃、3.11の大震災が起こりました。

 

計画停電で公民館が使えなくなったり、使う材料の産地に敏感になる参加者の方がふえたりして、なんとなく料理教室に対する熱も
さめてきました。

そこで、定期開催はやめて開催リクエストがあれば教室を開く、という形に変更しました。

 

それでも、これまで教室を開催した回数を数えると50回をこえていました。

最初のころは

「正しく教えなきゃ!」

と、肩にチカラが入っていたので、参加者の方が料理中に関係ないおしゃべりをしているとイラッとしていました。

でも、そのうちに、

「ここで楽しい時間をすごしてくれたらいいや」

と思えるようになりました。

それと同時に

「今日はおいしかったし、ほんとに楽しかったです」

という感想を多くいただくようになりました。

 

料理教室のタイムスケジュールとか、お客様のむかえ方とか、料理の教え方とか、調味料などについての伝え方とか、すべて手探りでしたが、とても勉強になりました。

 

その後は、ヒーリングや占いをあれこれ学んでは自宅やイベントで
セッションをするようになったのですが、どれも長続きしませんでした。

お楽しみ会

そのころ学んだことをちょっと思い出してみると、

・レイキヒーリング

・心のブロック解除

・遠隔ヒーリング

・名前占い

・手相占い

・数秘術占い

・タロット占い

・OSHO禅タロットセラピー

・NLP

・筆文字

・コーチング

・整体

・インナーチャイルドセラピー

etc・・・

(たくさんありますねぇ^^;)

 

どれも、学んでいるときはとても楽しいし、セッションをするととても喜ばれました。

でも、ちょっとうまくいき始めると、とたんに

「もういいや」

と、それ以上情熱が続かなくなってしまうのです。

 

「いったいわたしは、何をしたいのだろう?」

と、専門家に答えを求めようとして、今度はコンサル迷子になりました。

 

自分がこれまでやってきたことをなんとか形にしたくて、ビジネスコンサルの方々に相談するようになったのですが、これがまぁ、うまくいかなくて(T_T)

 

いろんなコンサルの方から、いろんなアドバイスをいただきました。

「おうち起業の教材を作ったら?」

「占い師が向いているんじゃない?」

「文章指導をしたら?」

「これまで学んだことを組み合わせて、オリジナル継続コースを作ったら?」

・・・

などなど。

 

でも、メニューを考えている途中で、

「こんなのどうせ売れないよ」

と、自信がなくなったり、メニューができあがっても

「値段に見合った価値がないんじゃないか」と、腰が引けてしまったり。

 

グループコンサルを受けたときは、他のメンバーと衝突。

ブログやメルマガのライティングの指導を受けたときは、

「こんなのわたしの文章じゃない」

と、文章を書くのがイヤになってしまいました。

さらに、セラピスト向けコンサルを受けたときには、

「救ってほしいのはあなた自身じゃないの?」

と、その方に言われて、途中からコンサルがセラピーに変わってしまったこともありました。

 

こうして、コンサルジプシーをくりかえすうち、

「わたしには何も続けられない。わたしには何もない」

と、自信がどんどんなくなっていきました。

 

今思うと、自分のあり方ができてない状態で、いくらやり方を学んでも意味なかったのですね。

 

そして、そのころのわたしは、自分のことで精一杯で、子ども達との関わりがとてもいいかげんでした。

発達障害を持つ長女にもイライラがつのって、関係がとても悪化したのです。

 

子育ての先生との出会い

 

仕事も家庭も、どんよりした状態が続いていたころ、知人を通じて
ある子育てセラピストの方との出会いがありました。

その先生は、鈴木美穂さん。

 

美穂さんは、「勇気づけ」という子育て講座をおこなっていて、知人は、
自分の子育て時代にその講座にほんとうに救われたそうです。

 

美穂さんと初めて出会ったのは、その知人が主催したイベントの懇親会。

そのとき、わたしは美穂さんとは、それほど話はしなかったのですが、何か、ピンとひらめくものがあったのです。

 

帰りの電車に美穂さんといっしょに乗りながら、自分もその勇気づけ講座に通いたいとお願いしました。

美穂さんは、

「今は開催の予定がないけれど、参加者が3人集まればあなたのの地元で開くわよ」

と、言ってくださいました。

 

この連続講座の参加費は8回で3万円近く。

わたしの住んでいるところはけっこう田舎なので、子育て講座といえば
市が主催する無料のものが普通です。

 

「3人も集まるかな?」

とちょっと不安でしたが、そのときのわたしは、こじれまくっている
娘との関係をなんとかしたい、と必死でした。

メルマガやFacebook、ブログで

「こういう講座を開講したいから一緒に学んでください」

と、自分でもびっくりするくらい、まわりの人に強引によびかけました。

 

直接おさそいしてことわられたことも多かったけど、

「きっと、この講座を必要としている人はいるはず」

と、信じていたわたしはそれほどへこみませんでした。

 

学生の頃のわたしは、

「営業の仕事だけはゼッタイにむり!」

と思い込んでいたのですが、この講座におさそいしたことで、営業の楽しさをちょっとだけ学んだ気がします。

人間、必死になればできるものですね。

 

しかし、やはり参加費でちゅうちょする方が多かったので、わたしは
奥の手を考えました。

 

「参加を申し込んでくれた人には、ネットで受講費程度のおこづかいをゲットする方法を伝授します!」

とメルマガに書いたのです。

 

(わたしは翻訳者という職業柄、検索が得意で、そういう情報をネットで見つけるのはけっこう得意でした)

 

これが後押しになったのか、勇気づけ講座の開催時にはわたしを含めて
6名もの仲間が集まっていました。

でも、後で参加者のみんなに聞いたら、たしかにこの「お小遣い」が後押しにはなったけど、実際にこの方法を使った人はひとりもいませんでした。

 

お金の不安が解消されれば、実際のお金のあるなしに関係なく、人は、動けるんだなぁ、と、このとき学びました。

 

主催って楽しい!

 

主催の楽しさに気づいてから、いろんな先生のいろんな講座を主催するようになりました。

・ボイトレ&ストレスケア講座

・1日演劇学校

・夫婦ラブラブ講座

・陰陽五行講座

・易経講座

・魔法講座

・おかあさん学校

・ひきよせ講座

・睡眠&まくら講座

・筆跡診断&筆文字講座

・インプロ(即興劇)講座

・・・etc

えほん

 

「いつもおもしろい先生を見つけてきますねぇ」

と、よく感心されましたが、なぜか不思議と、すてきなご縁をいただいてきました。

大勢

 

「この講師の先生は、こんな講座をやったらおもしろいのでは?」

と、企画から関わらせてもらったものもあります。

image

主催のおしごとというのは、プロジェクトのようにいっこいっこ完結していくので、その都度、新鮮な感動があります。

以前のわたしは、自分のことを

「飽きっぽくてひとつのことを続けられない」

と、責めていたこともありました。

でも、そんなわたしでも、いや、そんなわたしだからこそできることがあった!!と、自分にとっての自信につながりました。

 

でも、タイヘンなこともたくさんありました。

 

参加者がなかなか集まらなかったり、会場が見つからなかったり、ドタキャンが相次いだり。

講師の方に言いたいことがあっても言えなかったり、逆に講師の方とケンカになったり、講座の時間をまちがえられていたり。

会場が勝手にキャンセルされていたこともありました。

 

いっしょうけんめい書いた告知記事が他の主催者の方に丸パクリされたこともあり、すごいショックを受けました。

しかし、それと同時に

「そうか、わたしは告知記事を『こんなすてきな先生が決ますよ!』と、ラブレターのつもりで書いていたんだ。

こんなに主催のしごとを愛していたんだ」

ということに気付かされました。

 

こんなふうに、タイヘンなことも多かったけど、楽しいことのほうがたくさんありました。

 

講師の先生との打ち合わせを通じて、講座以上の学びをもらったり、地元では知名度がない先生の講座に、どうやったら人が来てくれるか工夫して
おどろくほどの人数が集まったり。

 

講師の方といっしょに他県に遠征して、知人もほとんどいない場所で講座を満席にしたり、参加者の方に

「かよさんが主催だから来ました」

と言ってもらったこともありました。

 

コラボでオリジナルイベントを作ったこともよくありました。

記念写真

そして、そのころ、子どもに

「最近、ママ、楽しそうだね」

と、言ってもらったこともとってもうれしかった。

 

主催の活動が楽しくてたまらなかったころ、ある不思議なセラピストの方との出会いがありました。

 

あー、宇宙人!

わたしにとって運命的な出会いとなったそのセラピストの方は、山本雅世さん

雅世さんは、自然医療の学校で講師の先生もしているスゴイ方ですが、とても気さくでおもしろい方。

彼女とはあるセミナーでお会いしたのですが
「ぜひもっとお話を聞きたい!」
と、その日のうちに個人セッションを申し込んだのです。

 

そのころのわたしは、のどがつまって息苦しい感じがずっと続いていました。

雅世さんは、キネシオロジーという筋肉反射を使ってセッションをしていきます。

あれこれ楽しくおしゃべりした後、

「では、体からのメッセージを聞いてみますね」

と、雅世さんは言いました。

どんなメッセージがくるかと神妙に待っていたら、

「あー、宇宙人!」

と言って、雅世さんは笑い出しました。

 

思いもかけない言葉にポカンとしていたら、

「かよさん、地球人のきぐるみを着た宇宙人だから!

カラダの観念が地球人とぜんぜんちがう〜」

と、雅世さんはさらにゲラゲラ笑います。

 

つられてわたしも

「そうだったのか〜」

と、いっしょになって笑い出しました。

 

実はそれ以前にも、自分を「宇宙人」と認識したことがありました。

 

それは、潜在意識の人種をチェックするという、あるヒーリングのスキルを学んだとき。

過去生のうち、今回の人生にいちばん大きな影響を及ぼしているものによって、潜在意識の人種は決まるそうなのですが、それによるとわたしの潜在意識の人種は宇宙人でした。

(ちなみにこのとき、娘の潜在意識も宇宙人とわかって、非常に納得しました)

 

でも、それは過去生の話だと思っていたのですが、なんと、生身のわたしも地球人のきぐるみを着た宇宙人だったんです!!!

 

それに気づいたとき、それまでののどの詰まりがすーっと通って、さらに、頭にのっていた重しがバカっとはずれるのが感じられました。

 

雅世さん曰く、のどが苦しかったのは、ほんとうの自分を出していなかったから。

雅世さんは言いました。

「かよさんはねー、チャネラー体質だから、人のことが自分のことみたいにわかっちゃうのよねー。

だから、みんなのことを考えて、『自分は最後でいい』って思っちゃうのよ」

 

雅世さんが言うには、わたしは、みんなの心に火を灯す「光の人」なので、かげに隠れてはいけないんですって。

 

「佳代さん、アマテラスみたいな人だから、隠れても光がもれてくるよ」

と、雅世さんに言われて、そうなんだ~!と、身体が熱くなってきました。

 

わたしが、

「いろいろ出してるつもりなんですが、なかなか『これ!』というものに
決められなくて・・・」

と言うと、雅世さんは、

「決めなくていいから!って言うか、決められないでしょ?

地球に遊びに来た宇宙人だから、『決める』なんてムリだから!」

とバッサリ。

 

そして、わたしは、お金を貯められない性格なのですが、それも、

「お金の『流し方』がすごく上手なのよ~。

宇宙人だから、

お金を貯めるなんてムリだから!」

と、またもやバッサリ。

 

雅世さんにそう言われて、

「あ、そーなんだ、宇宙人だから、ひとつに決められなくても、お金貯められなくても、いーんだ!

なーんだ、このままでよかったんだ!」

と、とても心が軽くなりました。

 

「かよさんは、自分で思っているより、ずっとすごい人だから」

と雅世さんに言われて、

「そうか・・・。自分のチカラを制限してたのって、他でもない、わたしじゃん」

と、このとき気づいたのです。

 

雅世さんは、さらにたくさんのメッセージをくださいました。

・佳代さんが楽しいなら、みんなも楽しい

・楽しいと思うことを次々やっていけば、自然と人は集まる

・真剣になるな!

・安心して前に進め!

・必要な物は、ぜんぶ手に入る

・いきあたりばったり、最高!!

 

この日が、宇宙人母KAYOとしての目覚めの日になったのでありました。

 

宇宙人と地球人のちがいとは?

 

雅世さんのセッションによって、自分が宇宙人だと知った数日後。

 

自宅でボーっとしながら斎藤一人さんのお話の音声を聞いていたときのことです。

(Youtubeで検索するといっぱい見つかりますよ)

 

お話の内容は忘れたのですが、その音声を聞きながら、わたしは

「ハッ!」

と気づきました。

「一人さんは、宇宙人だ!

宇宙人は、メッセージを発信したいんだ。

一人さんは、ビジネスで成功したかったんじゃなくて、発信したいから、発言力を高めたいから、まずはビジネスで成功したんだ!」

ということに。

(注:わたしの超独断です)

 

わたしがずーっとブログを書いてきたのも

「発信したい!」

という宇宙人気質がそうさせてたんですね。

 

そのころわたしは、月一回、「おなかの人回線開通士みっちゃん」
(小嶋道広さん)のセッションを受けていました。

「おなかの人」というのは、ひとりひとりの、おなかの中にいる魂。

 

おなかの人とつながって生きていくことで、アタマではなく、おなか(魂)がよろこぶ生き方ができるのです。

 

そのセッションのとき、

「わたし、すごいことに気づいたんですが」

と、一人さんのことを話すと、みっちゃんは、

「おぉ、気づいてしまったか」

と、笑顔になって、こんな話をしてくれました。

 

みっちゃん曰く、宇宙人と地球人は、こんなちがいがあります。

「今、この瞬間がすばらしい!すべて完璧!!」

と思っているのが宇宙人。

「んー、それなりにいい感じだけど、もっとがんばればもっとよくなる」

と思っているのが地球人。

 

でも、実は、がんばる必要なんて、まったくないのです。

 

だって、魂的には、地球で肉体を持って生きているということだけで100点満点だから。

 

でも、「がんばらなくては」という勘違いを持ったまま生きる、というのも100点満点なんです。

 

そんなみっちゃんの話を聞いて、わたしは、

「みんな、そのままでいいんだよ!」

ということをブログやメルマガを通じて伝えたかったんだ、と気づきました。

そして、その動機は、

「わたしが伝えたいから!」

という100%エゴです。

 

世の中を正したいとか、世の中をよくしたい、とかいうのはまったくない。

だってすでに、100%完璧なんですから。

 

だから、伝えてどうなるという結果はどうでもよくて、ただ伝えたい。

 

わたしは、「伝える」という遊びをしたいがために、地球にやってきたのでした。

 

これに気づいた数日後、またまたおもしろい事件がおこりました。

 

「宇宙人母の特徴」が大ヒット

このころ、メルマガに書くことも、宇宙人ネタが多くなってきたのですが
あるとき、ふと思いついて「宇宙人母の特徴」という記事を書いてみました。

2015年7月のことでした。

とても好評だったので、調子に乗ってブログやFacebookにも転載したところ、

「おもしろい!」

Facebookで、次々にシェアされて、なんと1000個以上の「いいね!」をいただきました。

ブログもメルマガも読者が急増。

「わたしも宇宙人です!」というメッセージをたくさんいただきました。

(同時に、「わたしも宇宙人ですか?」という質問もたくさんもらいました。
わたしが決めることなのか!?)

 

しかし、わたしはあまりの反響に、こわくなってしまったのです。

 

わたしはぜんぜんたいしたことない人なのに、こんなに反響をもらってしまって、いいの?

ほんとのわたしを知ったら、みんな、がっかりするんじゃないの?

 

・・・・と、ふとんをかぶってブルブルふるえていました。

 

まぁ、今思えば、わたしがどんな人間かなんて、どうでもいいことだったんです。

これまでだったら「もっとちゃんとしなきゃ!」と、自分を責めていたような事柄に対して、

「これが宇宙人母の特徴です!」

と堂々と宣言することで、

「わーい、わたし全部、あてはまりましたー\(^o^)/」

と、楽しく笑えることに変換できたことに、大きな価値があったのです。

 

ちなみに、「宇宙人母の特徴」として、こんなことを書きました。

・わりと器用になんでもできるけど興味が長続きしない

・行事の大切さがわからない

・参観日で他のママの話を聞くと

「みんな、そんなに子育てに熱心なのか!」

と、びっくりする

・・・など。

 

今は、この記事は公開していないのですが、記事の内容をもとに「宇宙人母チェック」を作りました。

こちらから無料で診断できますので、興味ある方はどうぞ。

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宇宙人には光はまぶしいんだよ!

 

そしてこの頃、娘(当時中1)がある日、不思議なことを言いました。

 

ある朝、寝室のカーテンをざーっと開けたら、娘が

「わ~!宇宙人には光はまぶしいんだよ!」

と言うではありませんか。

 

おどろきましたが、ふと、

「Mちゃん(娘の名前)はどこから来たの?」

と聞くと、

「月から」

と答えるではありませんか。

 

私「何に乗ってきたの?」

娘「流れ星。流れ星がこわれて、帰れなくなっちゃったの。

それで、地球人のふりをして暮らすことにしたの」

私「それで、ママのおなかにはいったの?」

娘「そう。同じ月から来た人だと思ったから」

私「どうしてわかったの?」

娘「勘で」

私「パパも月の人なの?」

娘「パパは日本で生まれた」

私「Rくん(兄)は?」

娘「火星」

私「Sくん(弟)は?」

娘「あの、小さい星だよ。夜、見えてるやつ」

私「あー、S星(弟と同じ名前の星)ね!

おなかにいるとき、どんなことを思ってた?」

娘「あー、はやく、月に帰りたいなぁって」

私「生まれたとき、どんなこと思った?」

娘「ふーん、ここが地球かぁ~って」

私「おっぱい飲んで、どう思った?」

娘「おいしいなぁ、って」

私「パパに抱っこされたとき、泣いてたねぇ」

娘「(くすっと笑って)あぁ、びっくりしちゃって」

私「保育園はどうだった?」

娘「お友達がいて、うれしかった」

私「小学校は?」

娘「本がいっぱいあってうれしかった。地球の本はおもしろいなぁって」

 

娘は、生まれたとき、赤ちゃんらしくない大人っぽい表情で不安げに部屋の中を見回していました。

その理由が、娘の言葉を聞いてわかった気がしました。

 

そして、「パパだけ地球人」というのもとても納得できました。

たしかに彼はとても地に足がついた人。

「どうしてこの人は変化をのぞまないんだろう?」と思ったこともありましたが、娘の話を聞いたら、

「そうか、夫は、宇宙人妻と宇宙人キッズたちを、どっしり守ってくれてるんだ〜」

と感謝の気持ちがわいてきたのでありました。

 

初めての宇宙人ランチ会

 

さて、Facebookでの宇宙人母フィーバーが一段落したころ。

やっと、ふとんの中から世の中に出てくる勇気が出てきて

「そうだ、何か宇宙人イベントやろう!」

と、思いついたのでした。

 

思いつくと行動は速い宇宙人母☆

友人の横山麻衣子さん(まいちゃん)

「世の中にまだないことをやってみたい!」

と、メッセージを送ったのです。

 

まいちゃんと初めて会ったのは、2014年に参加した夢実現化コーチ養成講座でした。

 

それ以前から、Facebookを通じてまいちゃんのことは知っていて、名刺セラピーやメルマガ企画、コーチングなど、そのプロフェッショナルな活動内容にあこがれを抱いていました。

 

なので、あこがれのまいちゃんに実際に講座でお会いできて、
とってもうれしかった。

そして実際に会ったまいちゃんは、なんと、オヤジギャクを連発せずにはいられない、とってもおもしろい人だったのです。

 

でも、わたしはまいちゃんにちょっと気後れしていました。

「わたしは、何もキャリアがないから、会社でバリバリ仕事をしてた麻衣子さん、スゴイと思う」

と彼女に言ったら、まいちゃんはわたしをじっと見て、

「かよちゃんは、バリバリ仕事がしたいの?」

と、聞きました。

 

ちょっとドギマギしながら

「う、うーん、そういうわけじゃないなぁ」

と答えながら、一気に核心をつくこのシャープさ、タダモノではない!!と感じたのです。

 

その後、まいちゃんが開発した「才能レストラン」というフリーランスのためのメニュー作りワークショップでわたしの才能を見つけてもらうと共に、わたし自身も人の才能を料理する料理長として育ててもらいました。

 

記念写真

そんなまいちゃんは、宇宙人母として活動を始めたわたしのことを
「宇宙人プロデューサー」と名づけてくれました。

 

そんなまいちゃんは、「世の中にないことをやってみたい」という
わたしのムチャぶりに「最強共感します!」と、熱くこたえてくれました。

 

そして、あっという間に「宇宙人による宇宙人のための宇宙人ランチ会」
の開催が決まり、その次の日にはすでに告知記事を出していたのでありました。

なふだ

募集を始めると、つぎつぎにお申込みが。

 

そして、ねらったわけではないのに、開催日が11日、参加者が11名、そしてランチ会スタートが11時という、宇宙に応援されたような会になりました。

初めましての方も多かったのですが、みなさん、初めて会ったと思えないほどすぐうちとけていました。

そしてランチ会が始まると、会話のスピードが、速い速い!

 

「こんなこと言ったらヘンかな?」

「わかってもらえるかな?」

なんて心配はいっさいなく、

「あー、そうそう!」

「わかるわかる~」

といった感じで、新幹線(UFO?)のような速さで会話が進んでいきました。

 

「子どもの頃、『物事をはっきり言いすぎる』って言われちゃったんですよね」

「それは、ほめ言葉と受け取ればいいのよ~」

とか、

「興味の対象がコロコロ変わっちゃうんですよね~」

「『あなたにはそう見えるんですね』って返したらいいんじゃない?

宇宙人は生体スピードが速いから、そう見えちゃうんだと思う。

本人には『やりきった』感があるのにね」

などなど、宇宙人同士でアドバイスがとびかっていました。

 

そして、世の中でもてはやされているアレもコレも、

「ぜんっぜんおもしろくないよね!」

「わかるわかる~」

と、痛快なほどにバッサバッサ斬っていく宇宙人トーク。

 

これまで地球基準に合わせようと葛藤していた宇宙人のみなさんが、

「あー、わたし、これでいいんですね!」

と、ピカーンとした笑顔に変わっていったのがとても印象的でした。

 

参加者のみなさんから、

「心が軽くなりました」

「楽しかったです!またぜひ開いてください!」

「宇宙人視点を持てば、会社でも楽しくやっていけそうな気がしてきました」

などなど、たくさんのすてきな感想をいただきました。

 

Facebookでの「宇宙人母の特徴」のあまりの人気ぶりに、ふとんをかぶってブルブルしていたわたしでしたが、思い切って発信したことで、こんなふうにみんなを元気づけることができたんだ!と、とてもうれしくなりました。

 

そして、昔は

「ちゃんとしたものを提供せねば」

と、自分を追い込んで、逆に

「わたしには、何もない」

と落ち込んでいたわたしが、「宇宙人による宇宙人のための宇宙人ランチ会」なんてファンキーな名前のランチ会でお金をいただいてしまうとは!と、おかしくなりました。

 

その後、この「宇宙人ランチ会」はさらなる広がりを見せました。

ありがたいことに

「こっちでも開いてください!」

というリクエストをあちこちからいただいて、「宇宙人」のタイトルで、いろんなみなさんとコラボ開催させていただきました。

 

つみきのそのさんと「ほか&そのさんの宇宙人ランチ会@静岡」

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大阪で開いた宇宙人のお茶会は定員16人が即日満席でした!

 

宇宙人かよちゃんと妖精のりちゃんの開運ランチ会@神奈川県開成町

年の瀬だよ!宇宙人限定★才能レストラン@東京大森

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「宇宙人かよ&みらの初コラボ☆名古屋お茶会」

易経ボーイと五行ガールのご縁つなぎお茶会
(発案当初は「宇宙人&地底人&妖精のランチ会」だったんです)

 

宇宙人かよちゃんと妖精のりちゃんの春一番ランチ会

桜咲く!宇宙人限定才能レストランin岡山

 

宇宙人かよちゃんの単独ランチ会

 

宇宙人による宇宙人のための真夏の宇宙人飲み会

 

今思い出してみても、こんなにもたくさんの方が「宇宙人」のキーワードにひびいてくださって、ただただ感激です〜(T_T)

 

これらの会がきっかけになって新しい活動を始めた方や、参加者同士で
ご縁がつながった方たちもたくさんいらっしゃいます。

それが、本当にうれしくて。

 

「ほんとうに楽しかったです!」

「すっごく元気が出ました!」

「このままのわたしでいいんですね!」

と、ベリッと一皮むけたたくさんのみなさんの笑顔が今も心に焼き付いています。

 

しかし、宇宙人といっても、わたしは

「自分は◯◯星の出身で、どーのこーの」

という、いわゆる宇宙系の話はよくわかりません(^_^;)

そうではなくて、

「せっかく地球に来たんだから楽しんで生きようよ!」

と、地球ライフを楽しくすることについてならいくらだって話したい。

 

宇宙には、またいつの日か帰れるのですから。

 

宇宙人ランチ会&お茶会は一段落した感じで、今はお休みしていますが、また、そのうちどこかでひょっこり開催するかもしれません。

 

そのときは、全国の宇宙人のみなさん、ビューンと遊びにいらしてくださいね。

 

そしてこれから

 

これまで、さまざまなイベントを開いてきましたが、イベントそのものも楽しかったし、イベント開催後のレポート記事を書くことも楽しかった。

 

「かよさんのレポート記事を読んでいると、まるで自分も参加したような気持ちになります」

と、言っていただくこともよくあります。

 

考えてみると、わたしは、小学校の頃も学級委員としてクラスでお楽しみ会を開いたり、感想文を書いたりするのが大好きでした。

子どもの頃から本質は変わってないのですね。

 

・・・というか、あのころの自分で生きているときに、いちばんわたしはワクワクできるのでしょう。

 

一時期は

「自分には何もない」

と自信喪失していたわたしでしたが、人の講座の主催で自信がついたおかげか、自分自身のイベントも開けるようになりました。

 

「2時間で筆文字アーティストになれる筆文字講座」

 

「あの頃の夢を叶える表現ワークショップ」

「語源から英語を楽しむスピリチュアル英語講座」

・・・などなど。

 

そして仲間たちとコラボでのイベントも数多く開いてきました。

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こうしてふりかえってみると、宇宙人母としてめざめてからの人生は、順風満帆だったように見えるかもしれません。

でも、楽しかったことばかりでなく、失敗もたくさんありました。

 

ここに書けないような修羅場な思い出も・・・(T_T)

(その話はまたいつか)

 

でも、どんな落ち込んだときも

「そのままのあなたでいいんだよ」

と、支えてくれる仲間がいた。

そんなすてきな仲間たちとの出会いも、わたしの宝物です。

飽きやすいゆえ、ひとつのことを続けられないわたしですが、ふりかえってみると

「笑顔が集まる楽しい場を作りたい」

という思いだけは、ひとすじの道のように続いていました。

 

その道は、きっとこれからも続いていくでしょう。

 

今のわたしは、昔、追い求めていたような、いわゆる「いい母親」にはほど遠い。

でも、子ども達がわたしの姿を見て

「大人になるっておもしろそう」

って、感じてくれたらもう、それだけでいいや、と思ってます。

現在、わたしは、マイペースで翻訳の仕事を続ける一方、笑顔が集まるイベントや講座のプロデュース、3人の子どものお母さん、そして妻であることを楽しんでいます。

 

2018年には、発達障害を持つ娘との会話をまとめた電子書籍「娘と私は宇宙人!?」を出版して、作家デビューすることもできました。

これまでお世話になったみなさんの話、今のわたしを育ててくれた師匠たちの話など、書きたい話はまだまだありますが「わたしが宇宙人母KAYOになるまで」はいったんここで終わります。

 

でも、宇宙人母KAYOとしてのストーリーはまだまだこれからも続きます。

 

あなたとも、そのストーリーのどこかでお会いできますように。

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 

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オモテの顔はサイエンス系翻訳家、もうひとつの顔は宇宙人母。発達障害っ子との暮らしを楽しみながら、地球ライフが楽しくなるようなイベント・講座をプロデュースしています。文章を書くことも大好き。メルマガは「朝刊より楽しみです」というファンが多数。

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