しいたけが嫌いだった自分を許せるようになったわけ

心が軽くなる考え方
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なぜか苦手だったしいたけ


わたしには、唯一、とても苦手な食べ物があります。


それは、「しいたけ」。

子どもの頃から、なぜかしいたけの外観や食感が苦手でした。


なのに、わが家には、しいたけを栽培するための椎(しい)の原木がいっぱいありました。

なぜかしいたけづくしだった実家の食事


わたしの父は非常に多趣味で、これまでに、洋蘭栽培、こんにゃく作り、ミツバチの養蜂など、さまざまな趣味に挑戦してきたのですが、しいたけ栽培にもハマりました。

なので、しいたけが採れるシーズンには、しいたけの天ぷら、茶碗蒸し、しいたけの煮物など、わが家の食卓はしいたけでうめつくされました。

そして、実家の朝食は、ごはんとおみそしるを自分でよそうシステムになっていました。

しいたけが旬のころは、朝起きてきて、
「今日のおみそしる、何かなー」
と、おみそしるのナベのふたを開けると、薄切りになったしいたけが、ぎっしり浮かんでいます。

「う……」
と、わたしはそのまま、そっとフタを閉める、という日々でした。

わたしには「しいたけセンサー」があった


子どもの頃は、両親から
「どうして、しいたけ食べないの?」
「こんなにおいしいのに!」
と、お小言を言われ続けました。

なんとか食べられるように努力したし、母も料理法をいろいろ工夫してくれました。

でも、どんなにしいたけがこまかく切り刻まれていようとも、わたしの「しいたけセンサー」は、超高感度にしいたけを感知します。


どんなに小さいしいたけのかけらでも、ちょっと口に入れただけで、
「うっ」
と、なってしまっていました。

学校の給食でもしいたけは出た

学校の給食でもよくしいたけは出ました。

シチュー、野菜炒め、そして混ぜご飯。
油断しているとあらゆるところにしいたけは出没しました。


今どきの小学校は、給食の好き嫌いについては非常に寛容です。
でも、わたしが小学生だったころは、給食を残すことについて非常にきびしい時代でした。

しいたけが出ると、なるべくしいたけの味や匂いを感じなくていいように、わたしは息をとめてしいたけを飲み込みました。

「どうぞ、今日の給食にはしいたけが出ませんように」
と、わたしはいつも願っていました。

そして、しいたけが出ない献立だとホッとしました。

フミヤもしいたけが嫌いなんだ!


わたしは、しいたけが食べられないことを、ずっと負い目に感じながら成長しました。
でも、あるとき、そんなわたしが、自分のしいたけきらいを許せる出来事が起こったのです。


中学生のころ、わたしはチェッカーズが大好きで、藤井フミヤの大ファンでした。

そのフミヤが、ある雑誌のインタビューで、
「しいたけがキライ」
と答えているのを目にしたのです。


それを読んで、自分のキライな食べものを堂々と言えるということにびっくりしました。
さらに、
「フミヤもしいたけキライなんだ! わたしとおんなじー!!」
と、好きな人と共通点を見つけたうれしさで、しいたけギライな自分がほこらしくさえ思えました。


高級中華料理店で「きらいなものありますか?」

そしてわたしはしいたけがきらいなまま大人になったのですが、あるとき、高級中華料理店で、コース料理をごちそうになる機会がありました。

最初にウエイターの方が
「きらいなものや、アレルギーのあるものはありますか?」
と聞いてくださいました。

わたしは、
「すごいな、高級中華店では、きらいなものなんて聞いてくれるんだ」
と感動しながら、
「あの、しいたけ……」
と、ちょっとはずかしくなりながら答えました。

すると、ウエイターの方は、
「かしこまりました」
と、うやうやしくうなずいて、厨房に下がっていきました。

しかし、しばらくしてそのウエイターさんはもどってきて、
「すみません、点心にしいたけが入っているんですが、大丈夫でしょうか?」
と、とても恐縮しておっしゃるではないですか。


「あ、小さいしいたけだったら大丈夫です、たぶん」
と、こちらも恐縮して答えました。

そして、最初にきたオードブルにはしめじが。

ウエイターさんは、
「しめじは大丈夫でしょうか?」
と、また恐縮して聞いてきます。

「あ、しめじは大丈夫です」
と、またはずかしくなりながら答えるわたし。

その後に出てきた料理でも、えのきやあわびたけなど、しいたけ以外のキノコが使われていました。


そして料理が出てくる都度、
「えのきは大丈夫ですか?」
「あわびたけは大丈夫ですか?」
と聞かれるはめになりました。


そのうち、
「しいたけひとつで、ずいぶんオオゴトになっちゃった!」
と、なんだかおかしくなって、食事相手の方と笑ってしまいました。

きらいな食べ物はコミュニケーションツールになる


小さい頃は、外出先でしいたけが出ると、残すのがはずかしくて、がまんして無理やり飲み込んで苦しくなることも多かったのですが、今は、
「あの、もししいたけお好きでしたら食べてもらえますか?」
と、人に聞くこともできるようになり、
「あ、いいですよ」
と、しいたけ好きだと逆に喜ばれたりします。

そして、わたし以外にも、世の中には意外にもしいたけがきらいな人は多くて、
「わたし、しいたけ苦手なんです」
と打ち明けると、
「わたしもです!」
と、初対面の人でも話が盛り上がることがよくありました。


子どもの頃は、しいたけが食べられないことが非常にコンプレックスで、
「しいたけなんてこの世になければいいのに」
とまで思っていたしいたけ。

でも、ふりかえってみると、しいたけは、コミュニケーションツールとしてずいぶん役立ってくれました。

そして、きらいな食べ物があることは、自分の欠点ではなく、個性のひとつとしてとらえればよいのだ、と思えるようになりました。


しいたけさん、いろんなこと教えてくれて本当にありがとう。



あ、しいたけ占いは大好きです(#^.^#)

きひる

フリーランス翻訳家、ライター。
50歳を目前に、
「さて、これからどう生きたら?」
と、人生をなんだかんだ模索中です。

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